キト(QUITO)市
キト観光のハイライトは、まずユネスコから世界遺産として指定された”キト市旧市街”と、赤道碑があげられます。 スペイン植民地時代の面影を残すコロニアル調の旧市街は、およそ400年前の16世紀に残された建築物が現在もなお生き続けていて、 その時代の面影を彷彿させます。 キトの起源は、プレ・インカ時代に当地を興隆させたキトゥス族に由来しています。後にキトはぺルーのクスコと並ぶインカの第2の都として栄えましたが、 1533年、スペインに征服されました。18世紀末から独立運動が始まり、1830年5月に独立しました。 1987年の地震で多くの歴史的建造物が被害を受け、現在もなお建物への影響及び修復についての調査と修復が同時に継続されています。しかし、情緒あふれる街並みは、新市街とのコントラストとも相俟って、訪れる人を中世の世界へ誘います。 温暖な気候に育まれたキト市の治安は、南米でも比較的安心とされていましたが、旧市街の観光の際には、最近スリ・盗難の被害が発生するようになりましたので充分にご注意下さい。
キト市旧市街の主な観光ガイド

 独立記念広場 (Plaza de la Independencia)

この広場は旧市街の中心になっていて、1809年8月10日キトにおいて行われたイベロ・アメリカ初の独立宣言に携わった英雄をたたえる記念碑(MONUMENTO A LOS HEROES DE LA INDEPENDENCIA)がこの広場の中心に設置されています。
エクアドル共和国がグラン・コロンビアから離れ、実際に独立したのは1830年5月 13日ですが、当国ではこの独立宣言を非常に重要視していることから、当国独立記念日、大統領就任式、及び通常国会の開会を8月10日と定めています。
ここは大統領府、大統領官邸、カテドラル、キト市役所等の建物に囲まれています。1993年11月11日、エクアドルをご訪問された常陸宮殿下は、当地を訪問され、諸外国からの要人の慣例に従い、この記念碑に献花を行っております。


 大統領官邸(Palacio Presidencial/17世紀に建設)

独立広場の西に面する大統領官邸は18世紀に子午線の測量の為にフランスから派遣されたミッションメンバーの一人だった、カロンデレットが建てたことからカロンデレ宮殿(Palacio de Carondelet)とも呼ばれています。
官邸の3階にある鉄の手摺りは、かつてパリのチュイルリー宮殿の物でしたが、パリコミューンに破壊されたとき(1792年)、フランス政府より譲渡されたものです。その後1956年、ドゥラン・バジェン公共事業大臣(後の大統領)が第1回目の改築を行い、1993年6月よりセキュリティーと機能性向上の為に第2回目の改築が行われました。官邸の回廊中央にある玄関の両脇には古式ゆかしい旧フランス軍式軍服姿で軍人が交替で守衛を勤めています。
観光客は公式行事の無い日には順番を待つと回廊に立ち入ることができます。官邸入り口の衛兵との記念写真も許されるので人気の高い観光スポットになっています。独立記念日には回廊の官邸入口前にある半円形のバルコニーから大統領が国民に向けて記念式辞を発表します。


 ラ・カテドラル(メトロポリタン大聖堂 La Catedral)

独立広場の南面に隣接しているキトで最初の大聖堂、メトロポリタン大聖堂は1562年から1565年に建てられ、キトの信仰と文化の中心になっています。当初はアドベと木で作られていましたが、後にゴシック・ムデハル様式と呼ばれる、より強固で重厚な建物になりました。
美しいドームと広場につきだす扇形状の階段(カロンデレット・アーチ)が有名で、聖堂内にはキト独立の英雄、ホセ・スークレ将軍の棺が安置されています。内部の大祭壇の後には、天才的彫刻家カスピカラの代表作“ラ・サバナ・ サンタ”があります。「基礎と壁の一部は16世紀の建築ですが、20世紀までに改装・増築が繰り返され南側にはいくつかの礼拝堂がありますが、北側は一枚の壁でしきられ、正面扉は独立広場には面していません。正面玄関の隣には20世紀に建てられた巨大な鐘楼が建っています。


 サン・アグスティン修道院(Convento de San Agustin )


独立広場から2ブロックほど離れたところにあり、ここで1809年8月10日にエクアドルの独立の調印が行われました。
調印式が行われた部屋は「Sala Capitular、参事会室)」と呼ばれていて、18世紀バロック様式の見事な祭壇を見ることができます。
この場所は修道士で画家としても知られるミゲール・デ・サンチャゴが聖オ ーガスティンの生涯を描きながら暮らしていた場所で、併設されているミュージアムには彼の描いた絵が他のキト派の画家の絵とともに飾られています。


 ラ・コンパニーア教会(Iglesia de la Compania de Jesus)

この教会の建設は寄付を集めながら行われたため、完成には約163年も要しました。バロック様式の柱のある教会正面は、1722年に着工、 1765年に完成しました(43年間)。 この教会には南北アメリカ大陸で初めてソロモン様式の柱が建築装飾に利用され、その正面の扉の上と左右にはイエズス会士の保護聖人4名の像が置かれています。 又、1645年に殉教死したキトの聖人Mariana de Jesusの遺体が、金の棺内に安置されています。また地味な色の入り口からは想像できない絢爛豪華な教会内の祭壇は7トンもの黄金を使ったと言われるほど金色に輝いていることで知られています。
 サン・フランシスコ修道院(Convento de San Francisco)
この僧院は、3.5ヘクタールの広さ(現在は2.5ヘクタールという説もある)を持ち、寺院、礼拝堂、そして隣接する博物館からなり、1535年1月25日に着工、1605年に完成した南米最古の寺院です。正面は17世紀のスペイン建築様式で、図面は、スペインのエル・エスコリアルの宮殿を建設したエレーラの手によるものです。 (注:エル・エスコリアルはフェリペ2世の命により、フアン・バティスタデ・トレドが設計し、その後フアン・デ・エレーラが更に手を加え、1584年に完成しました)階段の各段がわん曲しているのが特徴です。単調さを救い、機能性も備えています。入り口のすぐ近くにインカの石(角のカットが特徴)が置かれています。又、次の7つの様式が調和良く融合しているといえます。 (イ) 入り口の石のアーチ部分の古典様式。 (ロ) 合唱台のらんかんの下部の浮き彫りのビサンチン様式。 (ハ) 合唱台の軒の下部と柱列間中央広間と脇廊との交差部分におけるムデハル様式。 (ニ) サン・ホセ祭壇の蒙古様式。 (ホ) サン・アントニオ祭壇はインドの影響、又、同祭壇の鏡はベニスとバレンシア様式。 (ヘ) 中央祭壇はバロック様式(ここに”キトの聖母(Nuestra Senora de Quito)”がある)。 (ト) 左の礼拝堂の中央祭壇(土着バロック様式)中央にはフェリペ2世(フランシスコ派の擁護者)がキトのフランシスコ会に寄贈した”サラゴサの聖母 (Virgen de Zaragoza)”が置かれています。又、植民地時代の美術品の多くはイタリアバロック(特にベルニーニ)の影響を受けていますが、彫刻のインドの影響は、多色彩色と金属をふんだんに装飾に使うという特徴の中に見られます。
 パネシージョの丘 (La loma del Panecillo)
旧市街のどこからでも頂上に立つ“キトの母”像を見ることができる丘です。
高さ43mの像が立つパネシージョの丘は高さが180mで、この像はサン・フランシスコ寺院博物館が所蔵している18世紀のエクアドルの彫刻家ベルナルド・デ・レガルダ(Bernardo de Legarda)の作品“キトの母(Nuestra Señora de Quito )” の複製です。サン・フランシスコ修道院に行きたくても行けない市民 がどこらでも拝めるように丘の上に大きな複製計画が始まり、スペインで7千ピースに分けて製作され、1955年にキトで組立てを開始し1975年に完成したものです。像の台座後から中に入ることが出来て像の足元まで登ることができます。展望台からは一段と旧市街、新市街の街並みが眼下に展望することができます。
この像には以下のような東洋の影響が随所に見られるといわれています。
❶ この像は飛んでいるのでもなく、立っているのでもなくて、一種舞踏を思わせる
❷ 手の表情がインド舞踏的
❸ 切れ長の目、足元の竜も東洋的
パネシージョの丘からはキトの旧市街と新市街を一望に見渡すことができるので絶景地として有名です。
キト郊外の観光ガイド

 赤道記念碑 (La Mitad del Mundo)

キトから約22キロ北に離れた郊外に建つ記念碑です。(“Mitad del Mundo”とは「世界の真ん中」という意味のスペイン語) ここは1736年から1744年の8年間にわたり、フランスから派遣されたミッションが測量をおこない、地球は真ん丸ではなく赤道付近のほうが若干ふくらんでいる楕円であるということを発見したところです。赤道標正面には、当時の子午線調査団メンバーの胸像が立ち並んでいます。 中央には30メートルの高さの記念碑が建っていて、エレベーターで展望台に上がることができます。 また、記念碑の中は民族資料館になっていてエクアドル各地に分散している先住者達の独特な文化・風俗が展示物で紹介されています。
 インティニャン赤道博物館(Museo Intiñan en la Mitad del Mundo)

インティニャン赤道博物館は赤道記念碑から200mほど離れた場所にあります。
インティニャン博物館の館長の父であるジャーナリストで教授のウンベルト・ベラは、1936年にサン・アントニオ・デ・ピチンチャに建設された赤道記念碑に、世界の真ん中、つまりエクアドルの国を示す赤道線を描くことを提案した人物です。
正確な赤道を示すという父の意志を継いでインティニャン博物館は作られました。GPSの測量による現在の正赤道位置が場内では示されていて、正赤道上で体験できる自然科学のアトラクションが用意されていて一緒に楽しむことができます。この博物館は、文化と民族の振興のための教育センターも兼ねていて、エクアドル・アマゾンの民族の2つの伝統的な展示も見ることができます。